8月12日は、ぼくらの人生で最も悲しい一日になりました。
妻のお腹の中の赤ちゃん、小夏の心臓がとまってしまったのです。
11日に、妻の両親といっしょにお見舞いに行ったとき
妻のお腹を触ると、小夏はしっかりとした胎動を返してくれたのに。
34週3日
もし、なにかあっても子宮の外で生きていける
そう思って安心していたのに。
病院からの電話を境に、ぼくの生活はまったく別のものになりました。
12日の夜、産声を上げることのない小夏のために陣痛に耐える妻のそばにいて、誰にぶつけることもできない悔しさに押しつぶされそうでした。
13日の朝、小夏は、ぼくらに顔を見せてくれました。
目を開けることのない小夏を抱いて、ぼくらは不思議と幸せでした。
深い深い悲しみの中に見つけた小さな幸せでした。
妻に似ているところもあり、ぼくに似ているところもあり、かわいい寝顔でした。
小夏の顔を見ていられたのは、わずか一日余り。
ぼくは、小夏のために何をしてあげられるかを考えました。
そして、小夏の絵を描いてあげることにしました。
久しぶりに握るパステルはなかなか思うように動かないし、小夏の無垢な表情を描き留めるのはとても難しかったけれど、小夏の寝顔を一生忘れないよう、懸命に描きました。
「小夏」という名前は、ぼくが考えました。
妻の名前の「夏子」からとったんです。
ぼくは、妻の名前が好きなのに、学生時代からの癖で、妻のことを名前とは関係のないあだ名で呼んでいるので、子どもに「夏」の字を受け継いでもらいたかったのです。
暑い夏の間に一日あるか、二日あるか、そんなさわやかな瞬間を切り取ったような名前です。
14日、小夏の棺の中には、花やおもちゃといっしょに、ぼくの畑でとれたブルーベリーとイチジク、そして小さなニガウリを入れました。
小夏が心臓をとめてしまった原因は、いまのところ不明です。
ぼくらの前に現れた小夏は、眠っているかのようにきれいで、外見的には特に問題となるようなところはありませんでした。
火葬のあとに拾ったお骨もとてもきれいで、手や足の小さな骨も立派に残っていました。
ぼくらは、がんばった妻の妊娠生活が認められたような気がして、きれいなお骨を残してくれた小夏を愛おしく思いました。
ぼくらが小夏と過ごしたのは、ほんのわずかな時間だったけれど、ほんとうにかけがえのない日々でした。ぼくらが楽しく過ごす様子を小夏も妻のお腹の中で、きっと感じていたことでしょう。
ぼくらは、まだ、とても立ち直ることなんてできません。
突然の出来事に頭も心も混乱していますが、少しずつでも前に進んでいこうと思います。
Posted by オットエンジェル at 2007-08-19 16:30:24 [ 新しい命、さよならの命 ]
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