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南ア再訪

  • 2010-11-01 (Mon) 06:05
  • 総合

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 ついにやって来たという感慨がある。多少大げさな印象を与えるかもしれないが、私の正直な心持ちを記すとそうなる。アフリカの最南端、南アフリカ。私が読売新聞ナイロビ特派員時代に最も足繁く訪れ、最も記事を書かせてもらった国である。
 そして何より、あのネルソン・マンデラ氏が27年に及ぶ獄中生活から解放された8日後に単独会見することができた思い出の地である。1990年2月19日。あれから20年の月日が流れている。今年6月にはサッカーのワールドカップが開催され、南アの変容の一端はテレビを通し、けたたましいブブゼラの音とともに垣間見た気もするが、果たして現実の南アはどう変わったのだろうか。
 ナイロビから南アの表玄関、ヨハネスブルクまでの飛行時間は約4時間半。時差が1時間あるため、午前8時過ぎに離陸したケニア航空機はお昼少し前に到着した。「オリバー・タンボ国際空港に間もなく着陸します」との機内放送を耳にして、時代の変遷を実感した。アパルトヘイト(人種隔離政策)時代にはこの空港は「ヤン・スマッツ国際空港」という名称だったのだ。スマッツ氏はアパルトヘイト政策を推進した白人の豪腕首相であり、タンボ氏はマンデラ氏とともにアパルトヘイトを打倒した黒人指導者だ。
 その空港は20年前と比べてもさらに立派になっていた。日本から直接訪れた人はヨーロッパの空港と思うかもしれない。ワールドカップに合わせ、諸設備や内装などに磨きがかけられたのだろう。それは、空港からホテルに向かった道路でも感じた。途中から片側5車線の道路に出たが、タクシーの運転手のダイアナさんは「この区間は平日でもほとんど混雑しないわ」と言う。「昔はあなたのように女性で黒人のタクシー運転手がいたかどうか記憶にないな」と水を向けると、「そうかもね。私は夫と二人でタクシー会社を経営しているわ。他に従業員はいないけど」と語る。
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 話題は自然とヨハネスの治安の悪さになった。ダイアナさんは「お客さん、気をつけてね。タウンにはあまり行かない方が無難よ。こういう仕事だから自宅には車はあと2台あるけど、うち一台が二か月前に車上荒しにあって窓ガラスを叩き割られ、カーラジオを盗まれたばかりよ。修理費が痛かったわ」と嘆いた。
 彼女が言う「タウン」とはヨハネスのかつての中心街で、この国を取材に訪れた際には必ず、この「タウン」にあるホテルに投宿していた。日本企業を含めた欧米の企業も事務所を構えていたが、皮肉にも1994年のアパルトヘイト崩壊を機に「タウン」は治安が悪化、今はそうした事務所やショッピング街は北部郊外のサントン地区に移っている。
 そういう次第で投宿したのはサントン地区に近いリボニアにあるコテッジ風のホテル。B&Bと呼ばれる「朝食付きの宿」だが、調度品や設備はこれまででベストだ。
 (写真は上が、リボニアのホテルがある地区は「検問所」があり、外部からの通行、車の進入が24時間警備されている。下は、地区内の住宅はどれも富裕層しか住めないと思われる豪壮な邸宅ばかりで、警備は厳重、「不法侵入すると犬に食われるよ」との警告も)

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