April 2011
これが完成した本!
- 2011-04-07 (Thu)
- 総合
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前回に続き、拙著のことを。ようやく念願のアフリカ本「ブラックアフリカをさるく」が福岡市の出版社、書肆侃侃房から刊行された。副題に付けた「声をあげ始めた人々」が示唆するように、アフリカ取材で感じた「変化」を紹介したつもりだ。この欄で記したブログが基になっているが、ミニ解説的なコラムも設けており、ブログよりは読みやすくなったはず。と願っている。
本日、このお知らせをアップしていて、少し晴れやかな気持ちになっている。それは東日本大震災発生以来、ずっと気になっていた一つの個人的なことが「解決」したからだ。
私はアフリカ特派員の後、半年ほどして、岩手県の盛岡支局に1990年から2年間勤務した。仕事の大半は岩手県政のカバーだった。アフリカから岩手県への異動であり、土地勘もないから、原稿のねたを探すのに一苦労した。今回の大震災で甚大な被害が出た三陸海岸には支局の通信部もあり、あまり足を運ぶことはなかった。
しかし、釜石市には個人的にお世話になり、忘れがたい人がいた。風流な名の旅館を営むSさん。当時、地元の人たちを対象にした教養を深める勉強会を定期的に旅館で催されていて、何かの縁で私にも「釜石の人たちにアフリカのことを話していただけませんか」と声がかかった。もちろん、喜んでその旅館を訪ね、その夜集まった20人ほどの方々に話をさせてもらった。集まりが終わった後は、確か、囲炉裏を囲んでSさん夫妻から三陸のうまい料理と酒をご馳走になった。Sさんは三陸の山の幸、海の幸に明るいお方だった。
大震災の津波をテレビで見て以来、ああ、Sさんご夫妻は無事でおられるだろうかということが気になっていた。時々、パソコンでその旅館のことを調べてみるのだが、特段の情報は得られなかった。誰かの「投稿」か、旅館の建物は残っているが、津波の大きな被害を受けていることは分かったが、Sさん夫妻の消息をつかむことはできなかった。それが昨日、運よく、消息をご存知の方と連絡が取れ、Sさんと電話で語ることができた。
電話の声はとても張りのある声で、その声を聞いただけでほっとした。Sさんは旅館の営業は6年ほど前からやめていたこと。今回の津波からは奇跡的に難を免れたこと。津波が2階の天井まで届いており、建物自体の修復は無理なことなどを淡々と語られた。今は盛岡市内の避難所暮らしのSさんからは、釜石の復興や三陸の植物の研究にこれからも頑張る気力があられると推察できた。
Sさんは私からの電話をとても喜んでいただき、私がアフリカ本のことを話すと、「あなたが私の旅館で話していただいたマンデラさんの話はとても興味深いものでした。今でもよく覚えていますよ」と懐かしそうに語られ、今回の出版もねぎらっていただいた。アフリカから届いた友人、知人のメールにもまして、勇気づけられた思いだ。
なお、「ブラックアフリカをさるく」は1575円。問い合わせは、書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)のホームページを参照してください。電話092-735-2802。







